2005-2014 SHIHO ENTA ART AORKS

遠田志帆画集


画集によせて

 

 学校でも家でも、勉強するために机に向かっている時は手が自然にノートの空白の部分に女の子の絵を描いてしまうほど、絵を描くが好きな少女時代でした。将来の夢は?と聞かれると、別の職業を口で答えてはいても、心の底では『ほんとは漫画家』とぼんやりと思っていました。きっとなれないだろうけどなれたらどんなにいいだろう…という感じの、淡い夢です。

 教師を目指して大学に入り、そこで美術教師から特別支援学校の教師へ希望科目を転向、教師への夢は明確になっていたものの、教員採用試験の受験勉強が架橋に入った大学4年の春に突如、『このままで自分はいいのか?』状態に陥り、親に頼み込みました。

 「3ヶ月間だけ、時間をください。私、漫画家になりたい。」

 漫画を雑誌に投稿して、実らなければ諦める。そう約束してがむしゃらに描きました。とは言え、漫画は趣味で昔から描いてたものの、人物の絵を描くのは好きでも話を構成する力も表現する画力もない。結局3ヶ月で一本仕上げられず、働きながらの再挑戦を心に決めた、大学4年の春でした。

 

 この時、自分の描きたいものと合っていて大好きだった、漫画投稿するならこの雑誌!と心に決めてたのが、新書館さんの『Wings』や『サウス』でした。高校時代からずっとそう思ってました。

 

 大学卒業後、パソコンで絵を描き始めました。働きながら制作する時間を作るのは難しく、特に講師2年目、小4の担任だった一年間は絵を描く時間はほとんどありませんでしたが、その年身体を壊したため次の年は非常勤にし、少し時間ができました。その年から季刊エスへの投稿も始め、絵を描くことの面白さに没頭していきました。

 そんな三年間の教員生活を経て、結婚を機に秋田から埼玉に引っ越し、専業主婦になり、絵を自由に好きなだけ描く時間を得ました。その頃はパソコンでカラーの絵を描くのにどっぷりはまっていたので、漫画家は諦め、ひたすら大好きな絵を描きました。

 そして現在に至ります。(この辺りの過程は、本誌巻末の作品解説で度々触れております)

 

 2009年、ピュア百合アンソロジー『ひらり、』のカバーイラストで初めて、新書館Wings編集部の熊谷さんにお仕事を頂きました。「Wingsの編集さんが私に!」という衝撃もですが、さらに、『ひらり、vol.3』の巻末のコメントカットを送ったところで「かわいいですね。『ひらり、』のイメージにぴったり。このキャラでマンガ描きません?」と言って下さった時の衝撃といったらなかったです。そして次の号で、あんなにも憧れていた漫画を、未熟な自分に描かせてくれました。その次は小説Wingsの封入ポスターで、普段描かないテーマで少年達を描かせて頂きました。

 自分に次々と新しい試みでお仕事をくださり続け育ててくださいました。

 『ひらり、』のお仕事が始まった頃から「いつかうちで画集出しましょう」と言って下さり、最初は夢のような話でとても信じられずにおりましたが、いつかそんな日が来ればいいなぁと思っており、それがいつか現実の話になり、とうとうこの日が来ました。

 新書館さんから出る、熊谷さんと作った画集。

 前置きが長くなってしまいましたが、自分にとって大きな意味のある一冊です。

 

 装丁は2009年からたくさんの装画のお仕事でお世話になってきた、デザイナーの鈴木久美さんにお願いする、という希望(というか野望)を叶えて頂くことができました。

 いつの日か自分の本が出るときはデザインは鈴木さんに…という想いを積年ずっと溜めてきたので、表紙のデザインがあがってきた時はそれはもう…!感無量でした。

 扉絵や本誌の表紙(カバーを外した中身)の文様は、表紙『TAMAYURA』の額のモチーフから鈴木さんが起してデザインしてくださったもので、熊谷さん曰く「これからなにか素敵なファンタジックな世界が始まるよー、と呼びかけているよう」な素敵な扉絵です。

 

 そして、帯の推薦文を綾辻行人先生にお願いすることを新書館さんよりご提案頂いた時は、まさかのことに恐れ多くてひっくり返りそうになりました。でもその瞬間、これまでの画集に対するぼんやりとした自己満足的認識が、大衆的なエンタテインメントという認識に急に変化しました。

 綾辻先生はご快諾くださった上に、期待以上の素敵な推薦文を頂戴しました。

 これまで先生の作品で触れていた、心に響く、先生ならではの語感…静寂にかつ凛と鳴る、この幻想的な言葉たちが自分の絵に寄せられたものだと思うと………贅沢極まりない気持ちでいっぱいです。

 

 まずは御三方に、心からの感謝を申し上げたいです。本当に有難うございました。

 

 

 そして、たくさんの方の御尽力があってこそ、今の自分がおります。

  

 下積み時代、自分が絵を描き続ける目的とする場所を下さり、自分を育て続けて下さった、COMITIA代表の中村さんと飛鳥新社のエス編集長天野さん。長い間プロモーションし続け支え続けて下さっているFEWMANYの竹尾さん。

 

 そして、貴重なお仕事の機会を与えくださっている編集部の皆様と作家の皆様。

 今回自分の本を作ってみて、改めて尚、皆様が大切な本のイメージとなる画を自分に委ねてくださったそのご期待の重さとそのお心の深さを、身に染みて感じております。

 この画集への掲載につきましてもご快諾を頂きありがとうございました。

 

 そして、10年以上もの間共に描き続け、苦楽を分かち合ってくれている最高の絵描き親友、Dite。

 そして最愛なる友人達と、常に支えてくれている家族。

 

 そして、これまで自分を応援してくださった皆様…!!!

 

 たくさんの方々にお世話になりご迷惑をかけたりしながら、これまで絵を描き続け、こうして画集を出せるに至りました。

 本当に、本当に有難うございました。

 

 皆様に少しでも、これはいい画集だ、と思っていただけるようなものであれば嬉しいです。

 

 私にはこの先も野望があります。もっともっと精進したいと思っています。

 どうかこれからも見守って頂けましたら幸いです。

 


内容について

 仕事で描いてきた絵やオリジナルの絵を、そのジャンルで大まかに流れを分けながら77点掲載しております。

 描き下ろしは5点、特に表紙の『TAMAYURA』と、最後まで表紙にするか迷った『IBUKI』は、これまでの絵の集大成の象徴とすべく奮闘した作品です。

 お仕事で描いた装画は全て掲載しております。 『はなとゆめ』の挿絵は、198点のうち、26点を厳選し6ページに亘って掲載しています。あとは同人誌やグッズで出していた絵になります。

 従って、これまでの私の商品を全てお持ちの方は描き下ろし以外はだいたい見覚えのあるものかと思いますがその点は御了承下さい。

  

 私は、大きく印刷されない媒体に使う絵でも、髪の毛や顔などわりと細かく描写します。よって本誌では、できるだけ絵を大きく掲載したい、という想いがありました。

 さらに、カタログというよりは、それぞれを一枚絵として、その迫力を見て頂きたい…という意図もあり、可能な限り見開きで掲載しております。

 結果、絵の点数を厳選することとなり、数は少ないかもしれませんが密と抜きのバランスがうまくとれていると思います。

 

 苦労したのが巻末の解説です。もともと文章での表現が苦手で…。少ない時間の中で書いたので更に支離滅裂ですが、がんばってたくさん語っております。自分の絵描き人生を一気に振り返る機会にもなりました。全部読んでいただけたら、何かしら垣間見れるのではないかと思います。

 また、字数の関係で、説明をどうしても端折らなければいけない絵もあり、特に縦絵で思い入れの深い『ほんとうの花をみせにきた』『遠くでずっとそばにいる』に関してはそれが少しだけ、心残りでしたので、ここでちょっと触れさせてください。

p.029 『ほんとうの花を見せにきた』…初めての文芸誌の扉画のお仕事でしかもあの桜庭先生で。モノクロでしたがはりきりました。モノクロならではの良さを活かせたかなぁと少し思いますが、逆にモノクロの難しさも痛感したので今後またチャレンジしたいです。

p.108 『遠くでずっとそばにいる』…秋田が舞台の恋愛ミステリで、秋田市で長澤雅彦監督が撮影し映画化された作品。涙に濡れたマスカラは作者の狗飼先生のご提案でした。映画のロケ(実家の超近所で!)や試写会におじゃまできたのは貴重な経験でした。まさか自分の慣れ親しんだ通学路で、狗飼先生と初対面したり、ロケ見ることになるなんて…ミラクルでした。

 

 熊谷さんと鈴木さんにはスケジュールがギリギリの中で、再三の、私のミス発見申告に最後まで(なんと印刷当日に絵を差替えてもらうハプニングも…)ご対応頂きました。

 私だけ遠方で子供がいるので三人顔を合わせての直接の打ち合わせができず、Skypeのグループ通話で打ち合わせをしました。また、三人でDropboxのフォルダを共有して活用し、メールへの添付はほとんど行いませんでした。どれも熊谷さんのご提案だったのですが、効率がよくて画期的でした。

 

 

 そんな事情をもって出来上がった、自分の絵描き人生初の集大成ともいえる画集です。

 

 

2014年 夏 遠田志帆